2011年11月05日

龍馬に学ぶ感謝論

週末の土曜日でした

今日も一日終わろうとしてます。

今日はデンの丘の教室からスタートしました。

あの頃生後半年くらいだった子が3才近くになってました。

再会できた上に遊べるなんて本当に幸せでしたよ。

変わっていくことも大切ですが、やはり変わらずにいることも大切なんだな~と実感



大きくなって飛躍していくことも大切だけど、やっぱり足下を見渡せる身の丈に合った毎日が一番心地いいかもしれません。

日々「何事にも感謝」の気持ちは大切に持ち続けていきたいと思いますね。


「感謝」って「鐘の音」と同じだと思います



打てば響く



かく坂本龍馬が西郷吉之助(隆盛)のことを勝海舟に語ったときの一文を引用します。
「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」

感謝の気持は大きく持てば大きく響くし、小さな感謝しか持てなければ小さくしか響かないかと

小さな感謝であっても自分の中の鐘は大きく叩いていたいと常々思います。

しかしどれだけ叩いても響かない鐘もあるし、響かない時もあるんです

響かない状況でも世知辛い世の中は鐘を叩きまくることを無言で要求してきます。

それが世の中ってもんですよ

そんな中で懸命に鐘を叩きまくる自分に疲れてしまう時があります。

「いっそ鐘を叩く撞木が折れるまで叩きまくろうか??」

「いや撞木をふるのをやめてしまおうか...?」

ですが...最近わかったことがあります。

「撞木が折れたら鐘は叩けません」


龍馬が勝海舟に語った文をもう一度...
「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした」

この鐘は西郷さん
撞木は龍馬ということになります。

だから「撞木が折れるまで(響き渡るまで)」叩き続けると言うのは...

すなわち「自分を壊す(折ってしまう)」ということになるんじゃないかな?と

響かない鐘をゴンゴン叩いたところで、それは雑音に過ぎないし...逆に疲れる

感謝の気持を持って自分を壊すなんてバカバカしい

響かないというのは、やはり何らかの理由で感謝の気持が自分で持てないでいるのだろう

その理由は己にあるのか否かはわからないし、別段明確にする必要もないわけで...


龍馬も自分で自分を壊すことなく己の道を歩んだのだな~カッコエエ~~わ~~としみじみ

撞木である自分が小さくて西郷という大きな鐘を大きく叩けなかった

という龍馬がカッコ良すぎますねicon22


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Posted by わんポイント@はやし at 23:45│Comments(0)ダイアリー
 
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